摂理

読めばわかる!”委ねる”はなし

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【日本人が「宗教ってなんか嫌だ!」と感じる瞬間ベスト5】

に入るんじゃないかと個人的に思っている、

 

”委ねる”

という概念。

 

 

 

 

 

 

私が実際に「まじか・・・」と思ったことを例に出すと

 

大学の教授 兼 神父さんが、

「心配とかあっても全部神様がなんとかしてくださるからそんなに悩まないんだよねー」と言ったこと。

 

私がサークルの人間関係でものすごく悩んでいた時、

摂理のお姉さんが「そういうのは祈って神様に委ねるんだよ〜」と言った瞬間。

 

 

\何言ってんだこの人たち。/
\そんなんでどうにかなると思ってんのかあほか。/

と、正直思いました(笑)

 

 

 

みなさんどうですかね?

「まあ信仰者としてはそれが妥当ですよね」

とか思いますか?

「この人たちよく生きることを放棄してる・・・!」

と思いますか?

 

当時、新入生だった私は完全に後者でした。笑

 

 

 

 

 

だってね、ほら。

辞書引くじゃないですか。

 

1.デジタル大辞泉より

ゆだ・ねる【委ねる】

[動ナ下一][文]ゆだ・ぬ[ナ下二]

処置などを人にまかせる。また、すべてをまかせる。「全権を―・ねる」「運命に身を―・ねる」

すべてをささげる。「政治に身を―・ねる」

 

 

2.大辞林 第三版より

ゆだねる【委ねる】

( 動ナ下一 ) [文] ナ下二 ゆだ・ぬ

① 一切を他人にまかせる。 「息子に後事を-・ねる」 「万機を以て悉に-・ぬ/日本書紀 推古訓」

② 身をささげる。 「教育に身を-・ねる」

 

ですよ。

 

 

 

 

 

すべてをまかせる。

一切を他人にまかせる。

 

 

・・・・・無理!!!

他人に全部任せちゃったらあかんやろ!!

自分の道は自分で切り開いてこそ人生やろ!!

 

と思っておりました。

 

 

 

責任感が強かったのか・・・

他人を心から信用できなかったのか・・・

おそらく両方だとは思いますが(笑)

 

そんな私。

摂理に来て<委ねる>事ができず時がたくさん過ぎ去りました・・・笑

 

 

 

 

 

 

委ねるとはどういうことのなのか?


 

 

私が摂理に来て学んだ”委ねる”

 

自分ができる限界線を認識すること。

②自分ができる以上のレベルのものを望む場合は、そのレベルまで導いてくださるように祈りで神様に頼み込むこと。

③あとはふさわしければ神様が環境だったり状況だったり自分だったり他人だったりを通してできるようにしてくださるから、神様が共にしてくださっていることを信じ、自分のできることを全力で行ない続けること。

最後まで諦めないこと。

 

 

だと思っています(あくまで個人の主観です)。

 

 

 

 

私の場合ですが、

まず「自分がどう頑張ってもここまでしかできない😭!」ということを探すことから始まりました。

自分のいるべき位置を探す、というか

自分がすべきことを探す、というか。

 

もし、自分にはできないのに「できる」と思い込んでしまっていたら。

神様にヘルプを出して周りにもヘルプ出したらすぐに出来ていたことも

2倍、3倍、4倍の時間がかかってしまう。

そして最悪の場合、出来なくなる。

そんな負のスパイラルをずっと繰り返していたものでして・・・笑

 

 

「自分はここまではできるけど、ここからは神様にしか出来ない・頼めない」

という限界線をしっかりと作ることは大事なのかもしれません。

 

 

出来ない事がわかれば話は早いです。

求めよ。探せ。門を叩け。

そう。神様に頼み込むのです。

 

 

頼み込む時のポイントは神様の全知全能さを認める事です。

今すぐ認めるのが無理って方は

生活の中で「神様パネェ」と思うことを探すところから一緒に始めましょう。

 

 

そして

その全知全能さを認めながら、

自分の限界線だと思うところまではしっかり自分がやった上で

【どこから神様が働きかけてくださるのか探し当てようクイズ】

を、

最後まで諦めずに

するだけです。

 

 

①どこから神様が働きかけてくださっていたのか(複数回答可、時系列関係なし)

②それによってどう状況が変わったのか

この2つがわかれば委ねて行なうことに成功した

という事ができるのです!!

 

 

 

・・・・・・と個人的には思っておるのです。

これは実践したらどうなるのかもブログに書きたいところですね!!

みなさんもぜひ良き”委ねるライフ”をお過ごしください〜〜!